今回は会社のことについて「社員と語ってみた」企画の第4弾
前回に引き続き社員紹介のコラムです。今回は、”2022年9月に入社したばかりの即戦力”冨髙と会社のことについて語ってみました。創業メンバーまたは中途入社100%の当社ですが、ようやく代表の私より若い社員が入ってきてくれました。私は、熊本電子ビジネス専門学校(以下、電ビ)で講師をやっているのですが、元生徒です。実は社員には『今いい生徒がいるから採りたいんだよね』と言っていて、学生時代からめちゃくちゃマーケターに向いていると思ってました。前職の経験を踏まえ、どんな事を話してくれるのか楽しみですね。
第1弾 補助金サポート事業担当 溝口の場合
第2弾 総務・経理担当 一楽の場合
第3弾 勉強会担当 髙宗の場合
DX部門/PR部門担当 冨髙 萌
まずは、他己紹介から始めていきたいと思います。
冨髙は、新規事業にあたるDX部門(MAツール運用や企業のDX推進をサポートする部門です)を担当しています。また、ありがたいことなのですが当社の顧客は紹介がほとんどとなっており、(そして、受けきれていないのですが)、自社でのPR(広報活動)による集客が成長領域であると考えています。今まで、リソース不足であまり注力できていなかった部門ですが、入社早々そのような将来への投資になるような重要な部門を任せることが出来る、即戦力です。WebサイトやLPの制作なども出来るため、マーケティングのサポートをする上でのアウトプット(クリエイティブ)をワンストップで提供できるようになりました。補助金に関しても習得中で、オールマイティかつ得意分野があるという、当社が求めている人財に育ってくれそうで今後が楽しみです。
今までのことを聞いてみた
今回は、コラムに書くということを前提に、当社で働くまでの事を聞いてみました。以下、対談形式でお送りしたいと思います。
『冨髙の就任』
岡村 「なんで、大学卒業をしてから住宅会社で働くことにしたの?」
冨髙 「大学時代にアパレルの販売をアルバイトでしていたんですけど、商品を買ってもらえた時に”楽しいな”と思いました。何かの販売の仕事がしたいなと漠然と考えている中で、人生で大きい買物といえば、結婚式や家、あとは人生を左右するという意味では保険なんかもありますかね?なので、就活ではハウスメーカーやウェディングプランナー、保険営業などで検討していました。」
岡村 「単純に、商品が”売れる”ことが楽しいと思ったの?」
冨髙 「アルバイトの時は、お客さんにアドバイスや提案をすることが楽しかったです。商品を買うときにお金を払うお客さんから”楽しかったよ”、”ありがとう”、と言ってもらえたことには凄くやりがいを感じていました。あと、売れる販売員の本とか読んで実践してみたら、すごくお客さんから喜んでもらえたのも楽しかったですね。」
岡村 「なるほど。”売ること”よりも”自分の提案が人の役に立つ”ということが楽しさの原体験みたいだね。就職した住宅会社では、その体験はできた?」
冨髙 「実は第1志望で受けた会社には採用してもらえなくて、第2志望の会社に入社しました。入社後2週間くらいで熊本地震が起きたんですけど、その会社は壊れた家に見学会のチラシをポスティングしてました。第1志望の会社は、代表の知人から送ってもらった支援物資を配るなど社会貢献していて、やはり素晴らしい会社だなと思いました。大学は商学科だったんですが、経営学科のゼミに入って、理念経営について学んでいたこともあって、より一層、その会社に行きたい気持ちが強くなったのを覚えています。」
岡村 「で、転職した?でも一度落とされてるんだよね??」
冨髙 「入社して半年でやめることになったんですが、第1志望の会社で働く知人に色々と聞いて、代表に手紙を書きました。そうしたら会ってくださり、入社することができました。その会社に入ってからは凄く仕事が楽しかったです。 家が完成して、引き渡しをする時に”引き渡し式”をやるんですが、テープカットやシャンメリー(ノンアルコールのシャンパン飲料)を開けて一緒に飲んだり、営業担当や工務などから一言ずつ話をさせていただいたり、引き渡しプレゼント(10,000円くらいの生活雑貨)を渡したりします。最後に、打ち合わせ風景から撮っていた写真をムービーにして一緒に見るんですが、もうお互いに泣いてました。お客さんに向き合う姿勢が良いなと感じていました。」
『冨髙の終任』
岡村 「いや~、なんでそんな良い会社を辞めたの?」
冨髙 「営業フローがマニュアル化されていたので、当時ほぼ新卒の私でも家を売ることが出来ていました。特に、住宅業界(特に注文住宅)は、1人の営業で年間10棟売れれば、まあ出来る方に入ると思います。私も最後の1年間は18棟を売ることが出来ました。しかし、会社は支店を出すなど、どんどん事業が拡大していくと共に、お客様想いの部分が薄くなっているように感じました。事業の拡大を急ぎすぎたのか、キャッシュフローがかなり悪化していたようで、外注の工事会社さんへの支払いが遅れていたみたいです。その結果、評判が悪くなって大工さんが見つからない、大工さんがいないから通常の工期の倍くらいの時間がかかる、工事の手戻りも多い、ということでお客さんと接する営業としてはかなりキツい状態でした。通常だと、着工時、上棟時、完成時の3回に分けて払ってもらうんですが、キャッシュフローが回っていないので、通常の倍くらいの工期がかかっていることからお待たせしているお客さんからも完成前にお金を貰わないといけない、ということがありました。」
岡村 「今までの経験を活かすなら違う住宅会社に転職するという道もあったと思うんだけど、そこからWeb系に進もうと思ったきっかけは?」
冨髙 「1つ目は、目指す営業像が変わったことです。とある家のブランドの棟数が全国No.1の先輩営業がいて(年間で28棟も売っていた!!)、自分もそんな風になりたいと思っていました。でも、件数が多くなることでクレームも増えてきて、もともと想いとして持っていた”自分の提案が人の役に立つ”という仕事の仕方がしたいなと思いました。 2つ目は、自分がコントロールが出来ない部分(住宅会社だと、工務のミスも営業が謝罪する)がお客さんとの関係性を作っていく上でストレスになっていました。”作る”ところから”フロント”までを自分でやりたいと思ったときに、Webデザイナーになろうと思いました。何に使ったか分からないんですが、ほとんど貯金が無かったので、返済不要の奨学金”ほしのわ”が活用できて、社会人だと学費を補助してもらえる制度なども活用できるということで、電ビに入ることを決めました。」
『冨髙の周人』
岡村 「電ビに入ってからはどうだった?」
冨髙 「入学時点で25歳でしたし、とにかくハングリー精神はあったと思います。このまま何者にもなれずに卒業したら、、、という思いもありました。でも、新しいことを学ぶって楽しいな、と思いながら勉強できていたので、特に辛いと感じたことは無かったです。オープンキャンパスの時に見た作品のレベルが高くて、それを作った方でもデザインコンペを2年連続では獲っていないと聞いて、私はそれを獲ってみたいと思っていました。同級生にも社会人を経て入学した人が例年と比べて多めの学年だったので馴染みやすかったです。」
岡村 「周りの環境って大きいよね。卒業してWebの制作会社に入ってからは?」
冨髙 「電ビ入学の年からコロナが流行していて、入社したのは福岡の会社だったんですが最初の半年はほぼリモートワークでした。しょうがないことなんですが、どうしても住宅会社時代と比べて人との関わりが少ないと思いました。業務内容としてはサイトのデザインやコーディングでしたが、改めて考えれば、販売の仕事や、住宅の仕事、Webの仕事を選んだ理由も全て、”自分の提案でお客さんに喜んでもらう”ことだったので、プランナーさん(会社によってはディレクター)がやってる業務領域に携わりたいと思うようになりました。」
岡村 「そんな中、KMLに入ろうと思ったきっかけ?」
冨髙 「電ビの授業でマーケティングは面白いと思っていました。また、最初に会社に誘って下さったときに『会社の仕組みを一緒に作って欲しい』と言われたのは大きかったかもしれません。今までは、キャッシュフローの問題や、自分の成果に対する評価など、自分では変えることができない領域が問題で退職をしてきたので。」
岡村 「そうだね。自分がどうして欲しいか、ではなく『どうやったら良い会社になるか』という目線で考えて欲しいと思ってるよ。」
冨髙 「今、私が担当しているDX部門、PR部門に関しては、単純に”業務”というより新しい『0⇒1』を考えているので、領域が広くて難しいなと思う反面、楽しさを感じています。例えば、SNS運用の本を読んで、『これはあのクライアントに提案できそうだな』とか。新サービスを考える上でも、属人性が高い今のモデルを踏襲する必要はないと思っていて、新しい形ができたらいいなと思っています。」
岡村 「THE・求めていた人材!! 入社して2ヶ月が経つけど、KMLに入ってみて感じることはある?」
冨髙 「5人の会社に6人目として入るので、なじめなかったらどうしようと思っていました。思いのほか、スッと入れたな、と思っています。え、違ったらどうしよう、、、 あと、やっぱりフレックスで働けるのは良いですね。おそらく前職よりも働いている時間は長いと思うんですけど、自分のペースで働けているので、労働時間ほど長くは感じてないです。 個人的には、営業しなくても仕事が取れる状態を作りたいと思っています。住宅会社時代も、他の営業社員が商談してクロージングできなかった人の掘り起こしや、施主さんからの紹介などで受注をしていました。ちょうど、PR部門を担当しているので集客の仕組み化はやりたいところです。」
『冨髙の集人』
岡村 「逆に、不安なことはある?」
冨髙 「飽き性なので、マーケティングだけではなく補助金や講師など色々なことが出来るのは楽しいです。 でも年齢的に、これから結婚や出産というライフステージがある中で働くことに対しては漠然とした不安はあります。」
岡村 「そうだよね~。まあでも、年齢的な部分も含め、そういう人でも働きやすい会社を一緒に作って欲しいと思って誘ったので、何とかしていきたいね。 特に、入社してからは待望の人材ということであれもこれもお願いしすぎているからハードワークだと思うけど、その反面で産休や育休に入ったときにカバーするのが大変にならないように採用にも力を入れていきたいと思っているよ。」
冨髙 「仕事はすごく好きだし、仕事をしている自分も好きなので、頑張ります。 成果を出したら給料は上がるんですよね?? ね??」
次回は、新しく社員が入ってきた時です
というわけで、冨髙と語ってみました。まだ入社2ヶ月ちょっとですが、非常に思考力が高く将来性を感じます。また、求めたことに対して予想以上のスピードで、予想以上のアウトプットをしてくれるので、ついつい多くを求めてしまって、あまり負担をかけすぎないようにしないとな、と思っています。このような優秀な人材がライフステージの変化で仕事を諦めないで良いような会社にしていかなければ、、、と経営者としても身が引き締まる思いです。前回紹介した髙宗と同じく創業メンバー以外の2名が、これからのKMLを創っていきます。彼らの期待を裏切らないような会社にしていこうと思います。
さて、既存の社員で紹介できる人は全て紹介しましたので、次回は新たなメンバーが入ってきたときになります。それまでしばらくごきげんよう。