コラム

Column

蹞語 ~初のパートタイム社員採用 竹中の場合~

今回は会社のことについて「社員と語ってみた」企画の第8弾

前回のコラムでは2024年8月に弊社で初めてサポーター(マーケターをサポートするスタッフ)の採用となった薄井を紹介しました。実は同じ2024年8月に、こちらも初となる「パートタイム社員」を採用していました。実は、今回紹介する竹中も求人のInstagram広告を見たことがきっかけで応募をしてきた社員です。職種としては薄井と同じくサポーターになります。入社して半年が経過したので、竹中とも会社のことについて語ってみました。それでは始めます、社員と語ってみた企画「蹞語」です。ぜひご覧ください。

第1弾 補助金サポート事業担当 溝口の場合

第2弾 総務・経理担当 一楽の場合

第3弾 勉強会担当 髙宗の場合

第6弾 BowNow部門・セミナー部門担当 宮崎の場合

第7弾 初のサポーター採用 薄井の場合

 

 

パートタイム社員として初採用 竹中 聡子

まずは、他己紹介から始めていきたいと思います。

初のパートタイム社員の採用と書きましたが、大前提として弊社には社員・パートという区別はしていません。単純に、雇用契約が月給なのか、時給なのかという違いや、所定労働時間が8時間なのか短時間なのか、という違いがあるだけで仕事に対する責任や想いは同じであると考えています。 それぞれのライフステージに合わせた雇用契約がある、という考えですが、一般的に言う「正社員」「パート」の区別でいくと、「パート」になるかな、というところです。竹中には「クライアントのサポート」をマーケターと一緒に行っていく「サポーター」という職種で働いてもらっています。私の案件にもサポートで入ってもらっていますが、クライアントに対する姿勢が素晴らしく、きめ細やかなサポートをしてくれています。とあるクライアントさんからは『うちの仕事だけやってるの?』と聞かれるほど手厚く、丁寧にサポートをしてくれていて、私も鼻が高いです。もちろん、仕事は早く正確なのですが、先回りして色々と提案を上げてくれるので、ついついあれもこれもお願いしたくなってしまいますね。ちなみに、前回紹介した薄井と同じくワーキングホリデー経験者!! レイザーラモンRGだったら『ワーキングホリデー経験者のあるある言いたい』って歌い始めて、『ワーキングホリデー経験者、Instagramから求人に応募しがち~』って歌ってしまいそうですね。

 

 

今までのことを聞いてみた

ということで、当社で働くまでの事を聞いてみました。以下、対談形式でお送りしたいと思います。

 

『竹中の一途』

岡村 「ブライダルの会社からKMLに転職してきたけど、なぜブライダルの仕事を最初に選んだの?」

竹中 「高校の時に家庭科の授業の一環で保育園に実習に行ったときに、この仕事は自分には無理!と思いました。タイミング的に周りの友達の進路も決まり始めている時期でしたが、自分にはやりたことが特になく、どうしようかと思っていました。ある日、結婚式に参加した時に『保育士は無理だけどブライダルはやりたい!』と思ったのがきっかけです。」

岡村 「きっかけってそんなもんだったりするよね。で、ブライダルの勉強をして業界に入った?」

竹中 「一般的には、ブライダル関係の専門学校に行ってから就職するのが王道のルートなんですが、親から『大学に通ってから視野を広げたい方がいい』と言われたので大学には行くことにしました。父の兄弟が全員アメリカの西海岸に住んでいるので、もともと海外には興味があって、親戚と話しても育っている文化が違うことに面白さを感じていたので、国際文化学部を選びました。」

岡村 「その大学の4年間でブライダル業界で働きたいという気持ちは変わらなかったの?」

竹中 「大学時代も結婚式場のバイトをしていて、そこに採用していただけたので、そのまま就職しました。2年生の時にはフィリピンのスラム街に教会を建てに行くボランティアにも参加しました。ブライダル業界で働くことと、海外への興味との両方を追いかけてましたね。卒論のテーマも『日系アメリカ人のアイデンティティについて』でした(笑)」

岡村 「すごいパワフル! で、そこまで入りたかったブライダルの会社を辞めたのって何故?」

竹中 「大学を卒業してから7年間働かせていただきましたが、年齢的にワーキングホリデーで行くのは30歳というリミットがあるので、生活の拠点を置いて海外で暮らしたかった、という自分のやりたいことを優先することにしました。あと、独身のうちに行きたいっていうのもありました。」

岡村 「で、どこに行った?薄井さんから聞いたんだけど、申請が簡単な国があるんでしょ??」

竹中 「今までの自分のキャリアを考えて、ハワイでブライダルの事業をやっている会社に選考の応募も出していました。そこで働きながらハワイでワーキングホリデーをしようと思っていました。でも、面接の当日に熊本地震が起きたんです。当時は福岡に住んでいたので直接的な被害はなかったのですが、地震発生の数時間後が面接でした。実家に連絡をしても連絡は取れないし、正常な精神状態ではありませんでした。」

 

『竹中の異地図』

岡村 「なんと数奇な運命、、、 それで行くことをやめたってこと?」

竹中 「ありがたいことに合格通知はもらいましたが、辞退しました。福岡から熊本に戻ってきて、大規模半壊している実家や近所の家を見て、そんなことしてる場合じゃない!と思いました。会社は離職していたので、震災後の片付けなどのボランティアをしました。地元が御船なんですが、ペットを飼っているなどで避難所に入れない人向けのテント村を公園に作ったり、救援物資が余っているところに配給の要請を出したりしてましたね。熊本地震の特例で、退職後すぐに失業保険を貰えていたので、半年くらいボランティアをしていました。」

岡村 「当時のことを思い出すな~。県外だと食料や水があるから買いに行ってた。そこから何をしていたの?」

竹中 「まずは職業訓練校に通って、日商簿記3級を取りました。その後、知人から声をかけてもらってCOCOSAのアパレル店で働くことになりました。福岡に戻って仕事を探す選択肢もありましたが、地震を経験して、地元や地域の為に働こうという思いがあったので、実家から通えるのは大きかったです。あと、海外に行きたい気持ちはあったので、長く働けないということもお伝えした上で働かせてもらってました。」

岡村 「で、その会社を辞めて、ワーキングホリデーに行った、と。」

竹中 「オーナーさんのご厚意で、1年間のワーキングホリデーの後に戻ってこれるように休職という扱いにしてくれました。所属としては2年間でしたが、うち1年間はオーストラリアにワーキングホリデーに行っていました。」

岡村 「オーストラリアのどこ?まさかゴールドコースト?(笑)」 ※薄井はゴールドコースト

竹中 「オーストラリアのメルボルンに留学している友達から色々な話を聞いていたのもあり、メルボルンに行きました。もう、めちゃくちゃ楽しかったです。ホームシックにはならなかったです(笑) 年齢的にギリギリだったので1年しか居れないと決まっていたのもあり、やり切ろうと思ってました。ワーキングホリデーではなく『ワーキングワーキング』しましたよ。日本食のレストランで働きながらコーヒーの淹れ方を学んで、地元のカフェでも働きました。」

岡村 「ワーホリじゃなくて、ワーワー(笑)」

竹中 「カフェのお客様からは『あなたがいるから来るのよ』と言われたのは嬉しかったです。お客様とボスの会話でも、『コーヒーが美味しいけど何を変えたのか?』『satoが淹れてるんだよ』みたいな会話もあっていましたね」

岡村 「ボスって言うのね(笑) 帰国後はまたアパレル業に戻った?」

竹中 「戻りましたが、やはりブライダル関係で働きたいというのがあって退職しました。オーストラリアから熊本に戻ってきて、福岡に戻るという選択肢はなかったですね。熊本で家族と一緒に過ごそうという気持ちが強かったです。全国展開をされているブライダルの会社の熊本支店で働いていたのですが、2022年に結婚しまして、産休・育休に入りました。2024年に復帰予定だったんですが、コロナの影響で挙式が激減していたこともあり、育休が終わる1ヶ月前に熊本の拠点が無くなることになったんです。最寄りの福岡の拠点まで通勤することは、子供の保育園のこともあったので難しく、退職しました。」

 

『竹中の位置図』

岡村 「それで、転職活動をしているときにKMLを知った、と。」

竹中 「前職では、ブライダルの経験とワーキングホリデーの経験があることから、海外での挙式担当でした。しかし、熊本在住で海外で式を挙げる方の母数が少ないこともあり、そこにコロナもあったので、SNSの運用などをマルチタスクでやっていました。30代後半でしたし、転職をするなら自分のスキルが身に付く働き方をしたいと思っていました。あとは、今までワーカホリック的な働き方をしていたので、子供との時間も取りやすいことも条件に入れると、ブライダル業界は難しいかなと。」

岡村 「ワーワーだったけど、ワーホリでもあったわけね。」

竹中 「4月からは子供のならし保育をしながらの転職活動でしたし、在宅ワークでもOKな仕事を探していました。あとは、地元の為になる仕事がしたいと思っていたので、会社説明会でKMLのMissionを聞いた時に、ここで働きたいと思いました。あとは、今はパートで働くのですが、後々は正社員として働きたい気持ちもあったので、雇っていただけるかも聞くようにしていました。」

岡村 「じゃあうちはけっこう条件にピッタリの会社だったんだ!」

竹中 「求人への応募をしてから会社説明会の前までに、ホームページのブログは舐めるように見てましたね。どんな人がいる会社なのかな?というのが分かったので良かったです。あと、会社説明会で給与テーブルまで見せてくれたのはビックリしました。私、説明会をしてくださった溝口さんに『これって私が見ていいヤツなんですか?』って聞きましたもん(笑)」

岡村 「うちにとっては初のパートタイム社員の採用になるんだけど『パートの採用で適性検査とかまでやるの?』とか思わなかった?」

竹中 「新卒で入った会社も、書類選考のタイミングから課題を出されていたので抵抗はなかったです。求人のページにも、適性検査で実務能力を見ると書いてあったので覚悟はしてました。今までの仕事でExcelやPower Pointをしっかりとは使っていなかったので、本を読んで勉強してから臨みました。 まあ、薄井さんと同じく適性検査の後に『終わった、、、ご縁なかったな、、、』と思いながらトボトボ帰りました(笑)」

岡村 「あれは落とすためのものじゃなくて、現状把握のためのものなので(笑) でも竹中さんなら他の会社も欲しがるだろうし、複数の内定はもらっていたと思うけど、KMLに決めてくれた決め手はあった?」

竹中 「やはり、転職の時に希望していたことを全て満たしていたことが大きいですね。フレックスなので保育園からの急な呼び出しにも対応できますし、子供が体調が悪くても家で仕事をしながら看病できます。出社が絶対になってしまうと、そのあたりは難しくなりますし。あとは、正社員登用の道があることもですね。」

岡村 「それは良かった。働き始めて半年になるけど、どうです?」

竹中 「入社して半年ちょっとですし、勤務時間も正社員に比べて短いので出来ることはまだまだ少ないですが、マーケターがマーケターの仕事に専念できるようなサポートをしていきたいと思っています。」

岡村 「いやいや、それで言うと仕事の覚えはめちゃくちゃ早いと思うし、先回りした仕事をしてくれるので十分に助かってますよ。」

竹中 「将来的には正社員になりたいというのもあるので、少しずつでもスキルアップしていきたいと思っています。」

岡村 「一楽がそうだったように、子供を育てながらでもフルタイムで働くことが可能であること、そして能力や成果に応じて給与もちゃんと上げていけることを体現できる社員であってください」

 

 

次回は、社員を新しく雇用した時です

というわけで、竹中と語ってみました。成長意欲が高く、仕事に対して真摯な姿勢は、これから入ってくるであろう社員の模範になるでしょうし、なんなら既存社員や私自身も見習うべきところもあると思うくらいです。入社して半年ちょっととは思えないくらい会社のことに対する理解度も高いので、これからは「教える側」としても期待しています。あとは、「言われたことを完璧にやる」でも十分優秀なんですが「言われてないことを先回りしてやれる」のありがたさ。このまま、活躍し続けることを願いたいと思います。

最後に、昨年の宮崎の記事でもこう書いていたら採用できたので、ゲン担ぎで今年も書いておこうと思います。次回紹介するのは、新たに社員を雇用したタイミングになると思います。それまでしばらくごきげんよう。